ビスクドールを高価買い取り。ビスクドール、西洋人形。

ビスクドールを高価買取り致します。

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ビスクドールは、19世紀初頭のフランス発祥の人形です。仏蘭西人形と呼ばれることもあります。
特徴として、身体は粘土を素材とした磁器製で、特に頭部は2度焼きされています。
眼は吹きガラスを使うなど、素材、技法ともにすべてが手の込んだ職人芸で作られていました。
当初、社交界の貴婦人たちのためのファッションドールとしてもてはやされ、その後、
19世紀半ばになると、上流階級の少女たちの遊び相手として広く愛されました。 残
念ながら、あまりにも手のかかる人形工房は、第1次世界大戦後、
セルロイドなどの安価で大量生産できる素材の普及により、次第に衰退していきました。
現在では、装飾品よりもむしろ美術品として秘蔵されています。特に19世紀の代表的な
作家ブリュー、ジュモー、ゴーチェ、ATなどの作品はアンティークビスクドールとして
希少価値の高い美術品として評価されています。 レトリカが手がけているのは、
アンティークビスクドールをオリジナルとしたリプロダクション(複製/ 再現)です。
「ビスクドール/リプロダクション(再現)の魅力」  ビスクドールは、高級感にあふれ、
愛らしく、華やかで装飾品としてすばらしい価値のあるものです。
残念ながら、当時のビスクドールは非常に高価なものとなり、
一般には手の届かない美術品となってしまいましたが、
現代でも当時と同じ技法で作ることが可能です。
また、人形作りの技法は、手が込んでいるだけに創作意欲をかき立てられる対象でもあり、
作ること自体が楽しみです。何体か同時に製作していきますが、
衣裳を含めて手作り完成には1カ月程度かかり、
満足に仕上がるものは一つか二つといったところです。
それだけに、完成した時の喜びは、何物にも代えがたいものがあります。そして、
こうして作られた人形は、19世紀のものと変わらない永遠の美しさを保ち続けます。
自分の手で作ることで、ビスクドールは身近なものとなり、
手軽にビスクドールを部屋に飾ることができ、
いつでも鑑賞することができます。完成後は、衣裳の着せ替え、
ウイック(かつら)を変えて他のヘアースタイルにしたり、
好みのイメージに作りかえることができます。
こうした手軽な楽しみ方ができるのもリプロダクションならではの利点と言えます。
19世紀フランスの有名な人形工房(作家) その後29歳で結婚し、
パリに家を借りて住む。その家の家主が人形の製造をしており、
この工房で人形作りに従事することになる。制作期間は、1867年から1890年頃まで。
ジュモー:ピエール・ジュモーは1811年、生地屋に生まれ、
1942年人形作家ベルトンの姪と結婚し、
パリのテンプル通りに工房を持つ。1874年から子のエミールに経営が変わる。
1886年、"BEBE JUMEAU"(抱き人形)が商標登録される。1889年、ダネル・ジュモーが
"PARIS BEBE"を登録する。1899年、S.F.B.J.の傘下に入り、
ジュモー社は消滅した。ゴーチェ:1837年生まれ。
父親は陶器会社に勤務。1857年、パリ郊外、シャレントンの陶器工場主の娘と結婚。
1860年に人形のヘッドの製造を始め、衣裳人形を手がける。
1872年、人形頭部の製造方法で特許を取る。
ジュモー社、ブラムポワ社、A.T.、J.J.、P.D.、R.D.、ゲスランドなどに頭部を提供していた。
1899年、S.F.B.J.の傘下に入る。ステーネ:1832年、デジョン市生まれ。
1855年、25歳で機械仕掛けの人形で特許を取る。1875年、
パリ市アブロン通りに工房を持つ。1880年、ワイヤーアイで特許を取る。
1888年には"BEBE INCASSABLE"で、1890年"BEBE PREMIERPAS"で特許を取った。
1891年より、工場を貸して経営から離れたが、1903年までステーネの名が使われた。
シュミット:1867年、玩具メーカーとして制作を始める。1877年、モーリスと
チャールズ・シュミット親子で人形のショルダーヘッドの色づけ法で特許を取る。
1879年、オールビスクのミニオネットの人形を生産、
1890年までベベシュミットの名で販売した。
1891年、会社消滅。 A.T(チュイエ).:1832年生まれ。パリに出て、
ユレの人形ヘッドを製造していたLETUの店に勤め、1870年、人形の制作会社を買い取り、
夫婦で人形の組立卸業を始めた。ジュモー社またはステーネからキッド、木製のボディを仕入れ、
ゴーチェ社から頭部を注文し、1897年まで存続。A.Tマークの人形が
チュイエの作品と断定できないという説もある。